人と受験

 

 

受験は団体戦

自称進学校ではそんなことを言われたりするらしいけど、同じ大学や学部を受けたりする人がいて、受かる人と落ちる人がいる以上、そんなことも言ってられない。

 

じゃあ受験は個人戦なのか。

これもまた何か違うような気がするのは、浪人を経験したこのブログを読んでいるみんなとなら同じ感覚を共有できると思う。

 

受験は人との関わりあいのなかにあるものだと思う。

 

そう感じるような出来事があったからそれを交えつつ、今日は受験について自分なりに文章にしてみようと思う。

 

 

今日ぼくは卒業証明書の発行のために母校に訪れた。



すると偶然廊下で保健室の先生に会った。

授業行きたくないって保健室に行って2時間くらい僕の愚痴や相談を聞いてもらうことが毎週のようにあった。

 

やせ細り顔面蒼白なぼくをすごく心配しながらも、受験を応援してくれる先生の優しい言葉は高校のときと何も変わってなくて懐かしかった。

 

 

 

そしてもう1人会ってきた。

 

それは研伸館のときの数学の先生。

どんな先生か、ひとことで言うと優しさの塊みたいな先生。

 

以下研伸館wiki参照
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ちなみにこの優しい先生に僕は毎週授業後に呼び出されてかなり厳しく怒られていた。

後輩から「先輩、あの先生に怒られるって相当ですよ」と言われるほどだった 笑

 

受験を完全に舐めていた僕にこのままではダメだと言ってくれていたにも関わらず、当時の僕はそれが分からずに逃げるように研伸館をやめてしまった。

 

なので最初少し会うのをためらった。

 

 

だけど研伸館の中に入るとすぐに先生は気づいてくれて、話すことになった。

対面式の机と椅子に座るように勧められた。その感じは怒られていたあのときと全然変わっていなかった。

 

「先生が厳しいこと言ってくれてたことが今になってようやくわかってほんと情けないです。」

 

そういった僕に先生は

 

「人生どこで止まるかってのは人それぞれで、君は今受験で止まっているけど、そうやって言っていたことが分かるようになったってことは君が成長しているってことだよ。」

 

と言ってくださった。

 

 

この言葉は今日ずっと僕の心の中に響いていた。

 

 

正直浪人して、とりわけ二浪してからは、高校の友達たちが充実した大学生活を送りはじめ、そんななか浪人している自分は言葉には出来ないが確実になにか大切なものを失っているような感覚に陥っていた。

 

どんどん周りとの差が開いていくように感じる日々だった。

 

でもそんななかで「成長している」という言葉をかけてもらって、この2年という浪人の時間も完全に無駄なものではないのじゃないかと思えた。

 

いつも怒られていたあの席で同じように向かい合って、こんな素敵な言葉をかけてもらうことになるのはすごく感慨深いものだった。

 

 

受験をするのは僕自身だけど、その過程にはたくさんの人との関わりあいがあることに気づいた。

 

先生たちだけでなく、去年駿台で一緒で応援してくれる友達たち、大学生になるのを待ってくれている同校の友達たち、一緒に二浪をしようと決めた仲間たち、色んな人たちとの関わりあいのなかに僕の受験がある。

 

 

それに気づけたことも僕の「成長」のひとつなのかもしれない。

 

 

あと半年、泣いても笑ってももう半年しかない。

 

 

僕の受験に関わってくれた全ての人に合格という形で応えれるように頑張っていきたい。

 

いい一日だった。