道
2019年ぼくは世界の終わりを見た。
受験に落ちた3月のはじめ、あの日から隙間なく毎日が辛かった。
この1年間、色々な辛さを味わってきた。
でもセンター5日前のいま今振り返ってみると、その辛さの感じ方がいいものに少しずつ変わってきているような気がする。
長くなるかもしれないけど、今この瞬間しか綴れないことがあると思うしそれを残しておきたいから文章にしようと思う。
4月
毎日が絶望の日々だった。
人生が終わった。そう思うだけで辛かった。
毎日ただ部屋の白い壁に囲まれて人生に絶望する、ただそれだけの毎日だった。
そんな絶望のなか迎えた20歳の誕生日。
ただただ虚しかった。
この頃、いまから考えると思い切った選択をしたなと思うけど、二浪宅浪日本史初学独学だったから0から日本史を勉強していた。
この4/23という日付をどんな気持ちで書き込んだのだろうか。思い出せない。
そして桜を見ないまま春が過ぎていった。
5月〜6月
5月の頭くらい、この辺りから勉強に身が入らなくなる。
毎日ポケモンのアニメを見ていたら気づけば一日が終わっていた。
そんな日々が続くようになる。
それから間もなくして、高校の同期と会った。
思い出話に花が咲きあっという間に時間は過ぎていった。
楽しかった、ほんとに楽しかった。けど、そんな楽しい時間から開放されて現実に戻った瞬間にまたどん底に突き落とされた。
辛かった。
そこで僕は思った。楽しいことがあるとそこからの落差が凄くて現実に戻された瞬間に物凄い虚無感をおぼえる。
それならもうずっと辛い状態でいたらいいやと。辛いことを当たり前にすればいいんだ。楽しいことをなくせばいいんだと。
ここで僕はほんとに家から出なくなった。
20歳無職引きこもりの完成だ。
ちなみにこれはその頃書いたブログ。
そんな感じで気づけば6月も終わっていた。
7月〜8月
駿台の夏期講習に行き始める。
ここでまた勉強を始める。
毎日朝早くに駿台近くのマックまで親に送ってもらい朝早くから頑張った。
ここで数学の基礎からやり直したのはこの後の浪人生活のいい土台になった。
9月
9月の頭、第2回全統記述模試があった。
僕はこの日、受験のときよりもはるかに緊張した。
7月8月とかなり頑張ったからここで成果を出さないとという思いが頭に浮かび、会場までの道でGReeeeNの『道』を聞きながら何度も「自分なら大丈夫やれる!」と言い聞かせて心を落ち着かせた。
数学の手応えは今までにないくらいのものだった。この夏の成果が出た。ほんとに1つ壁を乗り越えた感覚があって嬉しかった。
ただ英語と国語が去年よりも出来ていなくなってる実感があり、なんとなく予備校に行かないといけないという思いが頭をよぎった。
ほんとに思いつきだったけど、そこで突然河合塾に入ろうと思った。
そしてすぐに河合に説明を聞きに行こうとアポを取り、まずは面談をしてもらうことになった。
JR大阪駅を降りて外に繰り出すと異常な暑さに溶けそうになった。
それもそうだ、夏期講習は車で送り迎えだったからこの暑さのなか屋外に出るのは初めてに近かった。
河合に着くまでに4回もコンビニで休憩をしながらやっとの思いでたどり着いた。
ほんとに途中倒れるかと思い、身体的に相当辛い思いをした。
半年引きこもるだけでここまで人間の身体は衰えるのかと…。
そしてここで今の担任と出会う。
初めて話す人とは思えないくらい話しやすくて、高校時代勉強しなかったことや二浪になった経緯など親身になって聞いてくださった。
この丁寧な対応から僕は河合塾に入ろうと即決した。
ここから僕の人生は大きく変わっていくことになるけど、長くなるので一旦ここで切ります。
次のブログからは河合に入ってから今日までの日々を書きます。